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            | 第一番 |  
            | 瑠璃光山 光榮寺 (柿薬師)
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            | 霜除観世音菩薩 |  
            |  | 朝早く出て来ましたが途中、高速道路が事故渋滞で9時30分頃の到着となりました。 山門のすぐ前に駐車場があります。
 
 慶長八年(1603年)三月、大間々宿を開発した高草木氏の請により、良璡阿闍梨高栄上人が讃岐国・多土津屏風ケ浦の海中より出現した、行基菩薩作の薬師如来像を安置して開山されたとあります。
 
 往時は「柿薬師」として親しまれ、大間々宿の街頭に当地方で収穫された柿を売る店が軒をつらねて殷賑を極めたという。
 関東八十八ケ所霊場の第八番札所でもあります。
 
 少し外にいただけで汗が噴き出して来るほどの暑さです。
 「冷たい水が有りますから、どうぞ」と言うことで2杯も頂きました。
 納経帖、ガイドブックを購入、新上州三十三観音霊場巡りの始まりです。
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            | 平成22年8月28日 |  | 
    
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            | 第二番 |  
            | 湧丸山 医光寺 |  
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            | 千手観世音菩薩 |  
            | 一番さんから渡良瀬川渓谷入り渓谷を眺めながら進みます。 
 黒俣根村役場の先を左折ししばらく登ると案内標識があるので、そこを右折ししばらく行くと到着です。
 
 弘仁十二年(820年)、弘法大師が東国遊化のおり、薬師仏を刻み開創したと伝えられるそうです。
 
 保延年間(1135~41年)、第六世の高僧・永厳僧都が中興開山し、その後、永録六年(1563年)火災により堂宇・古記録などを焼失。
 
 正徳五年(1715年)に現在の薬師堂(写真右)を、延享四年(1747年)、第四十五世の圓啓和尚が現在の本堂(写真上中央)を再建したとあります。
 
 写真の観音様は本堂におられます。
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            | 平成22年8月28日 |  | 
    
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            | 第三番 |  
            | 萬松山 崇禅寺 |  
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            | 馬頭観世音菩薩 |  
            | 縁記についてはかなり長いですが要約すると下記となります。 
 鎌倉時代に吾妻山の西方、小倉村に園田成家という武士がいた。
 成家は巡回警護のため京にあがった際、法燃上人に接し、仏の魅力に接し弟子となり、智明坊と名乗った。
 
 満五年の修業を終え、元久二年(1205年)故郷に帰る際、上人より阿弥陀如来像を与えられこれを背負って岐路に着いたが長い道のりのため牛の背にのせて故郷を目指した。
 
 牛は故郷・小倉山が見える藪塚村の中原で力尽きてしまった。
 智明坊は苦労をかけた牛のため中原に法筐印塔を建立し供養した。
 
 牛の供養のため如来堂に庵を建て、阿弥陀如来を安置し念仏に励んだが、故郷の人々のために庵を移した。
 これが草創とのことです。
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            | 平成22年8月28日 |  | 
    
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            | 第四番 | 第五番 |  
            | 慈丸山 聖眼寺 | 諏訪山 観音院 (日限地蔵尊)
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            | 千手観世音菩薩 | 聖観世音菩薩 |  
            | 大永年間(1521~28年)ころの開基と伝えられる。 
 天正十一年(1583年)、弘算法師により再興開山されたとあります。
 
 お堂が閉まっていたので外で読経していると、「中へどうぞ」ということで上らせて頂きました。
 
 ご朱印をもらいに行くと、「観音さま~!」と。。。
 
 「観音様はこちらです」と再度お参りしました。
 
 こちらは、関東八十八カ所霊場の第九番札所でもあります。
 |  | 正保元年(1644年)、岩崎彦右衛門を開祖、法院秀賀和尚を開山とするとあります。 
 本尊は江戸中期の御仏ですが、秘仏であるため御前立て本尊を安置しています。
 
 こちらは日限(ひぎり)地蔵尊として有名なようで、毎月二十四日の縁日には、終日参道を車両通行止めにし数十件の露天が出店して多くの参拝人でにぎわうそうです。
 
 この日も結構参拝人が訪れていました。
 
 関東八十八カ所霊場の第十番札所です。
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            | 平成22年8月28日 | 平成22年8月28日 |  | 
    
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            | 第六番 | 第七番 |  
            | 日輪山 南光寺 | 祥寿山 曹源寺 (さざえ堂)
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            | 十一面観世音菩薩 | 魚濫観世音菩薩 |  
            | 鎌倉時代、弘法大師巡錫の霊地に、行基菩薩作の白衣観世音菩薩を本尊として開創されたと伝えられている。 
 応永十年(1403年)、大仏師の備前法橋朝安作の大日如来像を安置。
 
 慶安二年(1649年)、徳川家光公から御朱印地二十一石三斗を賜わったとあります。
 
 ご朱印をお願いすると、本堂に上らせて頂けました。
 
 関東八十八カ所霊場の第七番札所です。
 |  | 文冶三年(1187年)、源義家の孫・初代新田家の城主・義重公が京都から迎えた養女、祥寿姫を若くして失い、その菩提を弔うために建立した祥寿院が紀元とされている。 
 室町時代、太田金山城主・岩松氏の家老・横瀬氏が厚くこれを信仰し、横瀬氏が当寺に葬むられ、法明「曹源寺殿林良斉遺居士」から曹源寺と改められたとあります。
 
 ちょっと変わった作りの御堂です。
 
 巡廊式建築と言い一階、中二階、三階からなり、堂内が一方通行となっているそうです。
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            | 平成22年8月28日 | 平成22年8月28日 |  | 
    
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            | 第八番 | 第九番 |  
            | 光明山 常楽寺 (ぽっくり不動さん)
 | 宝塔山 観性寺 |  
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            | 十一面観世音菩薩 | 如意輪観世音菩薩 |  
            | 法相宗の元基大僧正の開創、弘安三年(1280年)、慈猛流の密宗法灯を継承。 
 有尊上人を以って法流根本開基とすとあります。
 
 大和の長谷寺を総本山と仰ぎ、現在で四十世だそうです。
 
 関東八十八カ所霊場の第十五番札所です。
 | 天正四年(1576年)五月、法印弘喜により「観音寺」として創建。 
 明治に入り近くにあった「自性院」と合併して、「観性寺」と寺号を変更したとあります。
 
 写真右上が本堂で左手に薬師堂があります。
 
 この辺は宇宙飛行士の向井千秋さんの出身地だそうです。
 
 関東八十八カ所霊場の第十四番札所です。
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            | 平成22年8月28日 | 平成22年8月28日 |  |