准西国稲毛三十三観音霊場  第二十八番~第三十三番
 
第二十八番 第二十九番 第三十番
等覚院 神木堂 神木山 千手堂 土橋観音堂
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩 千手観世音菩薩
行基菩薩の御作と伝えられ、往時、山根家先祖、新左エ門尉の守り本尊であり、代々山根家一族により尊崇されて来たもの。

山根家の先祖は、戦国時代の天文十九年(1550年)藤原庄司俊長が、「山根」を名乗り分家。その際、家の守り本尊として親から譲り受けたのが現本尊の十一面観世音菩薩と言われている。
現在のお堂は、神木山等覚院の境外地仏堂となっており、平成10年8月に改新築され、等覚院から歩いて10分程のところにあります。。
慈恵大師の御作と伝えられている。

開山、開基は詳らかでないが、多摩区長尾妙楽寺の境外地仏堂として、古くから地域の人に尊崇され、講元猿渡家を中心として、別所1.2.3組の人達で講を作り、組毎に毎月念仏会を開いてお守りしている。
妙楽寺は、平安初期の威光寺の塔頭の一つとみられ、近年薬師仏修理のとき光背に威光寺の文字が書かれているのが発見され、史実の裏付けがなされた。
「新武蔵風土記」によると、当時既に、土橋村の西方に二間四方の堂宇があった。

安政二年(1855年)、平の旧寺にあった観音堂が廃寺となるや、土橋村の柴原源三朗が移築した。

坂道の途中に建っているお堂で駐車場等はありません。
普段はご朱印を頂くのは難しそうです。
平成26年04月13日 平成26年04月13日 平成26年04月13日
 第三十一番 第三十二番 第三十二番
青龍山 圓福寺 聚海山 西蔵寺 芥志山 薬王庵
聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
相模国高座郡遠藤村(現在の藤沢市)曹洞宗宝泉寺の末寺として大永二年(1522年)益田駿河守満栄の開基によって創建され、雪天透瑞大和尚が開山された。当時は蒼龍山円福寺と号す。
その後、寛永十一年(1634年)回禄にあい悉く烏有となる。
当所地頭の戸田六郎右衛門清信と益田家の子孫市郎兵衛の発願によって再建された。
以来戸田市の菩提寺となる。
基 行基大僧正 慈覚大師 御作

西蔵寺は、川崎市内最古の名刹影向寺十二坊の一つと言われ、古くは現在の野川小学校の近くにあったと伝えられ、その跡には今も古碑が残されている。
中興開基は、鎌倉時代の源氏入道法印正次と言われ、故あって鎌倉から落のびて当所に居を定め、荒廃していた当寺を再興した。現在でも子孫亀ヶ谷氏は、当初の有力者として地域に貢献している。
もう一つの三十二番札所。
開基は霊場発願者・山田平七。

山田家に伝わる縁記によると、札所本尊は「先達観音」と言い、山田平七があと一尊で霊場成就というとき、長谷寺の宣長和尚により一尊を勧請して三十二番の札を納めたとあります。

三十三番成就供養塔と山田平七の墓があります。
平成26年04月13日 平成26年04月13日 平成26年04月13日
 第三十三番 番外 別格
泰平山 東泉寺 洞雲山 玉林寺 よみうりランド観音
聖観世音菩薩 正観世音菩薩 如意輪観世音菩薩
開創は、約六百年前の室町期、現在地の南、平瀬川の南岸台地にあったが、文明年間に現在地へ移った。
文明十三年(1481年)、初嶽法最和尚は、開基葛山平殿の勧進により一寺を建立する。その後、円福寺二世再安慶初和尚を招し曹洞宗となし、中興開山第一世とする。

霊場発願者山田平七翁は当寺の檀徒総代で、その札所総縁起によれば、この三十三所観音霊場の大願が成就した喜びをもって、菩提寺を札止めの霊場としたものと思われる。
天正年間(1573~1592年)の創建にして、開山・藏雲和尚、元和五年(1619年)正月22日寂。本尊・釈迦如来、開山木像を安置す。

境内巽の観音堂は、昭和36年(1961年)柏道代に鉄筋銅葺に再建。正観音像は平安中期恵心僧都の作と伝え、日光作り宮殿に安置す。稲毛奉行・中根壱岐守正致の延宝七年(1679年)10月12日、観音仏供免田の古文書あり、稲毛三十三所番外札所なり。
重文 聖観世音菩薩像は平安時代前期(820~850年年頃)の作で飜波式刀法(衣のひだがくずれる波頭のよう)で線が美しく一本の檜で彫られている名作。

よみうりランドの中にありますが、入場料を払わなくてもいけます。

よみうりランドの駐車場に車を停めて、チケット売り場の前あたりに行くと案内版が立っています。

分かりずらいですけど。。。
平成26年04月13日 平成26年04月12日 平成26年04月12日
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